音楽演奏における老化とは?
先日の急ぐ・・・というエントリに関連して思い出したことだが・・・
自分はもう40を過ぎてしまったが、若いときには40になるなんて想像もできなかった。年を取ったらどうなるんだろうと心配していた。きっと楽器が吹けなくなるんじゃないか・・・。私もそう思っていて、多くの人達もそう多分考えるのではないか・・・ということは、年を取ると、指が回らなくなる or 音がきれいに出せなくなる・・・という感じではないだろうか。特にテクニックが衰えるのではと心配になる。
しかし、自分がこれまで様々な団体に所属して、周りを観察して&同僚と話して思ったのは、老化というのは、意外とテクニックの衰えからは来ない。老化はどこから最初に来るかというと、テンポやリズムの乱れなのである。特に急ぎがちになることが多い。協調性を保って、演奏することができなくなる。音もテクニックも比較的ちゃんとしてても、崩れていくのである。当人には自覚はあまりない。これは結構怖いことだ。推測だが、老化というのは肉体的なものよりも、脳が最初にやられるのではないかと思う。
先日書いたように、自分は急ぐことに自分自身が気づかなくなってきている。これは老化現象の現れであり、やばい。でも、プロってあまりそうはならないみたいだから、何かコツがあるのかしら。
ロビーコンサートの時間
ロビーコンサートの開始時間ですが、13時25分になりました。早めですので、お気を付けくださいませ・・・。
クラリネットデュオ
フルートトリオ
トリオ・ダンシュ
の3つの予定です。
先に行っちゃダメ
最近ちょっとネタ切れなので、少し愚痴を・・・
楽器演奏の癖というか欠点は、その人固有のもので、練習・経験を重ねてもなかなか克服できないものがある。人を見ていてそう思うときもあるけど、自分の場合も、中学生のころから、今までずっと、ほとんど指摘される欠点が変わらない。情けないほど進歩がない。それは以下の3つである。
1.急ぐ
2.音の最後の処理が悪い
3.音が悪い。はっきりしない
本エントリのテーマである1.を後回しにして・・・。まず2.から。自分は、自分で言うのもなんだけど、音の頭の処理はアマチュアクラリネット吹きとしてはマシなほうだと思う。クラリネットは振動体(リード)がでかいので、音の出だしは結構嫌なものだが、自分は音は出だしがすべてだと思っているので、結構注意を払っていたし、大体習慣づいている。一方、音の最後の処理は悪く、かなり意識しないと雑になる。これが習慣にならないのは残念なことで、上手い人との差はここにあると思う。
次に3.これは、レッスンで必ずと言っていいほど言われることである。結構な難しい曲をレッスンに持って行っても、テクニックや歌い方にクレームが付くことはほとんどなく、「音がもうちょっとよくなるといいんだけどね〜」と言われてしまう。そんな根本的なこと言われても・・・という気にもなるが、この音は高校時代に大体確立したもので、私の出身高校に伝統的な(と言っても今はないが)サウンドだった。教会のように強烈に響く(旧校舎の)教室で練習したからそうなったと思われる。フレンチな通る音を要求する先生からは、はっきりしないと言われてしまう。
最後に1.だ。自分は吹奏楽を長いことやっていたが、中学1年の後半からはコンサートマスター的な役割をやることが多く、常にリーダーシップをとることが要求されていた。そんな自分のモットーは、人よりも早くでる(音を出す)ことだった。遅れたり、伴奏をおっかけたりするのを潔しとせず、常に先頭に立って、吹こうと思っていた。ということがあって、自分は人よりも早く行こうとする傾向がある。これは今から考えると、なんでだろう・・・という気もするが、すっかり癖になって定着してしまって、先頭を切って走ってしまう。しかも、年を取ってそれが悪化しているようで、もはや自分で急いでいることが認識できなくて、録音を聞いて初めて知るという・・・もう末期的な症状になっている。今ロビーコンサートのためのアンサンブルを練習しているが、録音を聞いたらかなり顰蹙ものだった・・・。8分音符のメロディで走るから、伴奏をやっている16分音符はたまらない。何か直す方法ないのかしら・・・。もっと伴奏に乗っかる感じでやればよいのかなぁ・・・。
メイエの名演:ショーソン「アンダンテとアレグロ」
/Paul Meyer French Clarinet Art Le Sage(P) 販売元:HMVジャパン HMVジャパンで詳細を確認する |
ポール・メイエなんて、ルックス重視の日本では人気があるが、実力はたいしたことない・・・とか言う人もいるかもしれないが、自分は優れた奏者だと思っている。初来日を聴きに行ったときは、かなりがっかりだった。何でこんなにパワーに頼るのだろうと思った。彼は結構大胆な思い切った演奏をする。何というか、汚すことを恐れない。これは日本人的なきれいにまとめようとする文化には馴染まない。このようにアクの強さを感じさせることもあるが、彼の良いところはきっちり曲によって吹き分けられるところだと思う。先日の来日時の武満もすばらしかったし、衛星で見たベルクやプーランクもよかった。モーツァルトの録音も意外に悪くない。そんなメイエの名演を選ぶのは難しいが、フランス曲集のショーソンを挙げる。この曲はあまり演奏される機会は多くないが、かっこよい曲だ。それを素晴らしく華麗に演奏している。やはり彼にはフランス物がよく似合う。
職場の吹奏楽は終わったのか?ーNTT東日本東京
ちょっと報告が遅れたが、以下の演奏会に行ってきた。吹奏楽を聴くのは10年ぶりくらいかもしれない。
NTT東日本東京吹奏楽団 第42回定期演奏会
曲目は「終了いたしました」のリンクで見られる。課題曲2曲・天野正道、等、メインはサックス協奏曲だった。非常にちゃんとした演奏で、少なからず会場で見かけた学生達にはきっと勉強になったであろう。職場でこれだけのことができるのは素晴らしい。全国大会の常連で、金賞も取れる実力は伊達ではない。
吹奏楽コンクールは今年から、職場と一般の垣根が取り払われると聞く。東京都のハイレベルな一般の中で、NTTが都大会を通過できるかは微妙だ。東京都の一般団体の物量作戦のような、ドラッグでドーピングをしているかのような演奏(最近は知らないけど)に、正攻法のNTTが通用するだろうか。職場と一般の混合は、毎年同じようなメンツが並ぶ全国大会の職場団体へのいじめなのだろうか?しかし、職場の吹奏楽を考えてみると、それはもう終わっているのではないかという気もする。会社での飲み会やレク活動、スポーツ活動(最近はチームではなく個人を支援する傾向にある)が低調になる中で、音楽活動とて例外ではないだろう。また、非正規社員化が進む現状も職場の吹奏楽にとってはマイナスだ。
NTT東日本東京吹奏楽団は特別な存在だ。NTT東日本とは言うものの、NTTグループのメンバーは入団することができる。NTTグループと言ったら、NTTドコモもNTTデータも、NTT西日本(東京にも事務所はある)ですらメンバーになれるのだから、その母体の規模たるや圧倒的であろう。他の職場は、NEC「玉川」にしても、東芝「府中」にしてもローカルな団体だ(本当のところどうなのかは知らない。別ロケの人も混じってるかも)。ロケにまたがるグループ会社の力を結集することができるNTTの組織力はすごいと言えるが、他の職場団体にとっては、対等に勝負するのを勘弁して欲しいという気にもなるかもしれない。
そう考えてみると、職場と一般の垣根は、もはや意味をなさなくなっていると思う。極端な話、全国大会に出たいのならば、一般団体に入ってください・・・ということになろう。入るのは自由なのだから。職場としての活動を否定はしないが、時代は企業の垣根を越えたところでの音楽活動が主流になるであろう。
フランス語の偉大さ
フランス語のはなし—もうひとつの国際共通語 ジャン=ブノワ ナドー,ジュリー バーロウ,立花 英裕 大修館書店 このアイテムの詳細を見る |
自分は大学でドイツ語だったが、世の中を知るほどに、なぜフランス語を学ばなかったのかのかが悔やまれる。大学で学年で6クラスくらいあったが、ドイツ語は5クラスくらいで、フランス語は1クラスだった。親もドイツ語だったし、数学科の教授はどっちでもいいよと言ったから、何となくドイツ語を選んでしまった。日本はドイツ語に偏りすぎだ。フランス語は今でこそ英語の侵略を受けているものの、世界のインテリの共通語だった。この本はフランス語の偉大な歴史を詳しく書いている。フランス人の言語保護主義もいかがなものかと、昔は考えていたが、これを読むと文化を守る大切な営みであったと思わせる。彼らがフランス語を守らなければ、我々が大好きなフランス映画もなくなっていたのだ。著者はケベック人だ。フランス人でなかったことにより、フランス語至上主義に陥らずに、客観的にフランス語を見ることに成功している。保守主義者は、フランス語の変化を許さないが、著者は、他の言語や時代によるフランス語の進化を肯定している。
ロシアによる周辺民族への搾取
虚栄の帝国ロシア—闇に消える「黒い」外国人たち 中村 逸郎 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
ロシアの現在の繁栄(資源安でやばくなっているかもしれないが)は、周辺の貧しい旧ソ連の国々・・・アゼルバイジャン・タジキスタン・キルギスタン等の低賃金労働者によって支えられている。彼らのほとんどは不法就労者である。しかし、行政はまともに正規な労働者として受け付ける気はなく、不法就労は野放しになっている。彼らは、何の保証もなく(契約書すらない)、死んでしまっても人知れず処理されてしまったりすることもある。警察官たちは不法就労を見逃す代わりに袖の下を受け取り、彼らから旅券を奪ったりする犯罪もある。結構センセーショナルな感じで書かれている。著者自身による取材に基本的に基づいているので、リアリティはあるが、一般論としてみてどうかという疑問は多少生じる。この問題は日本にとっても他人事ではない。若年労働力の現象と、不況の長期化で企業が背に腹は替えられなくなったときに、外国人労働者の受け入れの問題は発生するだろう。日本人の数分の一の給料で喜んで働くアジア人はいっぱいいるに違いない。
ポストモダンと自由
自由を考える—9・11以降の現代思想 (NHKブックス) 東 浩紀,大澤 真幸 NHK出版 このアイテムの詳細を見る |
日本の現代思想で、東浩紀が出てきたので、ちょっと読んでみました。ものすごくざっくり言うと、現代というのは、目に見えにくい権力(セキュリティのようなもの)によって自由を奪われている。近代的な超越的なものも後退している。このような状況で、思想は力を持てるのか?・・・という感じですかね。東の「動物的」ってキーワードがポストモダンを都合良く説明するキーワードとして出てくるが、そんな都合良いものなのかな・・・と素朴に感じる。思想が力を失っているのは、そうかもしれないけど、オウムとか連続殺人犯とかで、現代を象徴させるって論法は、古いというか、食傷気味というか、特異点で一般論を展開するのって、無理あるんじゃない?と突っ込みたくなる。この本が出たのは2003年だから、イラク戦争も終わって、不況に陥っている今になってみればもはや古いのかもしれない。
日本のポストモダンはどうなったか
集中講義!日本の現代思想—ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 仲正 昌樹 日本放送出版協会 このアイテムの詳細を見る |
またまた仲正氏の本を読んでみました。今度は、日本におけるポストモダンの話です。自分が大学生のころはちょうど浅田彰の逃走論が出た頃で、ポストモダンははやっていました。朝日ジャーナルも売れてましたし、自分の本棚を見ると、フーコーの「性の歴史」I・IIがありました(Iは多少わかったが、IIはちんぷんかんぷんだった気がする)。今から考えると変な時代でした。さて、この本ですが、日本の思想界がマルクス主義の強い影響を受けながら発展し、ポストモダン流行につながり、冷戦終結とともに廃れていくさまを、結構わかりやすく書いてありました。多少偏った見方なような気もしないでもないですが・・・